MotoGPの優勝回数をメーカー別にまとめてみた!

メーカー

2019年で70年を迎えたMotoGP。その長い歴史の中で、優勝回数の多いメーカーはどれだろうか。

ここではmotoGP/500㏄クラスの歴代チャンピオンを見ていこう。 メーカーの活躍ごとに時代を区切っていくと、その変化は興味深い。

GWP開催~初期(1945年~1957年)に活躍したメーカー

motoGPは、もともとバイクロードレース世界選手権グランプリ(WGP)として開催され、最大排気量によって125㏄、250㏄、500㏄にクラス分けされていた。2002年から、500㏄クラスがMotoGPとなったのである。

まず、WGP初年度の1949年から1957年までの9年間、チャンピオンになったメーカーを見ていく。

WGPで初めて優勝したのは、イギリスのオートバイメーカー・AIS。ノートンもイギリスのオートバイメーカーで、ロータリーエンジンを開発した企業でもある。

どちらも創業は1890年代と古く、いずれも倒産や合併、解散となっているが、一般には知られていないものの、自動車業界を大きく前進させた企業たちだ。

AJSで初のチャンピオンとなった選手は、メーカーと同国のレスリー・グラハム選手。次の年1950年、ジレラではイタリアのウンベルト・マセッティ選手、1951年のノートンでは、ジェフ・デューク選手となっている。

WGP初期に花形となったのは、イタリアのオートバイメーカー「ジレラ(Gilera)」。1950年、1952年~1955年、1957年の9年間に、6回チャンピオンになっている。

このメーカーも、時代の流れで同国のオートバイ製造会社であるピアッジオに買収されたが、2001年にレース復帰し、125㏄クラスでチャンピオンを獲得した。

今では一般向けにスポーツバイクを発表し、根強いファンに支えられている。

MVアグスタの1時代・WGP中期(1958年~1974年)

1958年~1974年までの17年間、MVアグスタが長いチャンピオン時代を築く。

MVアグスタはイタリアのメーカーで、1923年に「ジョバンニ・アグスタ航空会社」として発足。終戦の1945年からオートバイの生産を開始する。

アグスタはWGP初期からマシンの開発に力を入れてきたドゥカティや、チャンピオン・ジレラなどからエンジニアを引き抜き、バイクの性能を高めてきた。

MVアグスタは16年連続王座を獲得。1976年に撤退するまで、125㏄、250㏄、500㏄の各クラスを合わせるとタイトルは 37回、優勝は3027回という驚異的な記録を出している。

当時は市販車でも高性能、「レーサーレプリカ」の先駆けを作ったメーカーとしても知られている。特に600/750ccの並列4気筒モデルは、WGPレーシングマシンの直系といえるもので、一般販売としてはホンダ・CB750が登場するまで、世界唯一であった。

選手は、1960年まで英国のジョン・サーティース、マイク・ヘイルウッドなどを起用していたが、1966年に同国イタリアのジャコモ・アゴスチーニが登場。彼は1972年まで7回連続チャンピオンとなった。

今でもモータースポーツ界に貢献しており、人気のある人物だ、

日本初はヤマハ!WGP~MotoGP(1975年~1999年)

1975年、ヤマハが日本初のメーカーとしてチャンピオンになった。

実はヤマハは、1955年からモータースポーツに積極的に参戦していた。日本国内のレースなどでは成功を収め、着々と実績を重ねていた。

そして開発に開発を重ね、できあがったバイクで参戦。 あのMVアグスタに貢献した、イタリアの伝説ライダー、ジャコモ・アゴスチーニを起用し成功。その頃から日本が注目され始める。

次の年の1976年はスズキ、そして83年にホンダが初勝利を収めている。80年代、90年代はヤマハ、スズキ、ホンダの日本メーカー3社がトップとなり、チャンピオンが毎年入れ替わるほどの激しい競り合いとなった。

1975年から1999年までの24年間、ヤマハのチャンピオン回数は10回、スズキが5回、ホンダが10回となっている。

ホンダはチャンピオンになった年がほかのメーカーに比べ遅れたが、1994年から1999年まで、6年連続でチャンピオンを獲得。選手はオーストラリアのマイケル・ドゥーハン、スペインのアレックス・クリビーレが活躍した。

80年代、90年代はケニー・ロバーツ、フレディ・スペンサー、エディ・ローソン、ウェイン・レイニーなどのアメリカ人、ワイン・ガードナー、マイケル・ドゥーハンといったオーストラリア人が活躍している。

2000年~2019年、ロッシ・ロレンソ・マルケスの時代

2,000年以降も、日本メーカーの争いが続く。ホンダ、ヤマハは、イタリアのバレンティーノ・ロッシ、スペインのマルク・マルケス、同じくスペインのホルヘ・ロレンソを起用し、それぞれの時代を築いている。

2019年で引退したホルヘ・ロレンソを除き、現在でも代表されている選手たちだ。

この年代で唯一、2007年にイタリアのメーカー・ドゥカティが勝利を収めている。ドゥカティは1950年代から世界グランプリに参戦しており、MotoGPでは古参のメーカーだ。

速いマシンを作ることに定評があり、現在もアンドレア・ドヴィツィオーゾ選手により最速記録を出している。

現在までイタリアはもちろん、日本でもおなじみのメーカーだ。ドゥカティは現在アウディの傘下となっているが、昔からレースのデータを公道用市販車に役立てているのが特徴で、現在でもバイク好きたちの人気は高く、幅広い用途のバイクを作っている。

メーカーの優勝回数はホンダがTOP!

これらの系譜から、メーカーの優勝回数をまとめてみると、チャンピオン回数の多いメーカーのトップ5は以下の通り。

ホンダ     21回

MVアグスタ  18回

ヤマハ     17回

ジレラ     6回

スズキ     5回

年代別に見ていくと、1950年代にイギリス、イタリアのメーカーから始まり、80年代以降は日本のメーカーが上位を占めている。日本メーカーのすごさが改めて認識できるというものだ。

WGPが開催された当初、日本のメーカーは欧州の技術に遠く及ばず、相手にもされていなかった。

しかしヤマハ、スズキ、ホンダはそれぞれ、外国勢のバイクの写真を撮りまくり、実際に目で確認しながら地道に研究していった。その成果が形に表れたのが、1975年に始まる日本メーカーの台頭だった。

日本のすごいところは、他社の真似をすることではない。相手を知り尽くし、研究に研究を重ね、最後には独自の製品を生み出すところにあった。

その後2000年代の日本メーカーの活躍が、それを証明している。

メーカーとMotoGP選手たちの活躍

選手たちに触れておくと、1960年代はなんといってもジャコモ・アゴスチーニの活躍が大きい。WGPでのタイトルは8つ、現在は行われていないが350㏄のタイトルも7つ持っており、合計するとタイトルは15にも及ぶ。選手の中でも、未だに破られていない最高記録保持者であり、WGPやモータースポーツの功績者だ。

続くバレンティーノ・ロッシがmotoGPのタイトル6つ。彼も500㏄時代に1つ、250㏄、125㏄でもタイトルを1つずつ持っているので、合計9つ持っていることになる。

マルク・マルケスはモトGPのタイトルが6つ、moto2、125㏄で1つずつ、合計で8つ、ジョン・サーティース、フィル・リードはモトGPタイトル7つだ。

彼らの活躍とメーカーのかかわりは深い。今後メーカーと優勝回数がどのように変化していくのか楽しみだ。

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