MotoGPのホンダは強い!チームのこれまでと記録

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2019年の昨シーズン、マルクス選手は12勝目、ホンダは3年連続で3冠を達成した。マルクス選手と、昨シーズンで引退したロレンソ選手の走りによるRepsol Honda Teamは、3年連続10回目のチームタイトルを獲得した。

まさに「ホンダは強い!」の一言である。ホンダがどのように強くなっていったのか、歴史をたどりながら見ていこう。

MotoGP、その歴史からホンダは強い!

チームは大まかに、ワークス(ファクトリーチーム)とプライベート・チームがある。

ワークス・チームはメーカーの専属チームで、マシンの開発から運営、指揮を行っている。一方で、マシンをメーカーから購入して参戦しているチームは、プライベート・チームと呼ばれている。

ワークス・チームの変化

Repsol Hondaは、ワークス・チーム「ホンダ・レーシング(HRC)」がベースになっている。

1982年     ホンダ・レーシング(HRC)設立
1983年   フレディ・スペンサーにより初チャンピオン
1985年  ロスマンズがメインスポンサーとなり、ロスマンズ・ホンダへチーム名変更
1993年  ロスマンズがスポンサーを降り、再びHRCに。
1994年  ミック・ドゥーハンによりチャンピオン(1998年までチャンピオン)
1995年  スペイン企業レプソル YPFがスポンサー、レプソル・ホンダにチーム名変更

18のチャンピオン選手

HRCから始まり、ホンダは18回のチャンピオン・ライダーズを出す強いチームとなった。チャンピオン選手たちは以下のとおり。

1983年 フレディ・スペンサー
1985年 フレディ・スペンサー 
1987年 ワイン・ガードナー
1994年 ミック・ドゥーハン
1995年 ミック・ドゥーハン
1996年 ミック・ドゥーハン
1997年 ミック・ドゥーハン
1998年 ミック・ドゥーハン
1999年 アレックス・クリビーレ
2002年 バレンティーノ・ロッシ
2003年 バレンティーノ・ロッシ
2006年 ニッキー・ヘイデン
2011年 ケーシー・ストーナー
2013年 マルク・マルケス
2014年 マルク・マルケス
2016年 マルク・マルケス
2017年 マルク・マルケス
2018年 マルク・マルケス
2019年 マルク・マルケス

1994年にミック・ドゥーハン選手が1998年までチャンピオンになり、HRCの1時代を築いた。ドゥーハン選手の引退後、チームは苦戦を強いられるが、転機を迎えたのがバレンティーノ・ロッシ選手だ。

2000年にロッシ選手のための新チーム 「ナストロ・アズーロ・ホンダ」を立ち上げ2位、翌年にはチャンピオンとなった。

ホンダは強い!チームのチャンピオン獲得数

チームチャンピオンの獲得状況を見ていこう。前述のとおり、ホンダの初チャンピオンは1983年だ。

1983年 ホンダ
1984年 ヤマハ
1985年 ホンダ
1986年 ヤマハ
1987年 ホンダ
1988年 ヤマハ
1989年 ホンダ

この時代はホンダ、ヤマハがせめぎ合いを見せていた。

1990~1991年    ヤマハ
1992年        ヤマハ
1993年        スズキ
1994年~1999年   ホンダ
2000年       スズキ
2001~2004年      ホンダ
2005年         ヤマハ
2006年         ホンダ
2007年        ドゥカティ
2008~2010年    ヤマハ
2011~2014年    ホンダ
2015年       ヤマハ
2016~2019年     ホンダ

1990年代はミック・ドゥーハンによるチャンピオン獲得が功績につながった。2000年代は、2007年にドゥカティがチャンピオンを獲得したほかは、スズキ、ヤマハの日本メーカーとのせめぎ合いとなっている。

レプソル・ホンダ・チームとしてのタイトルは、2013年のマルク・マルケスの起用により、コンストラクターズタイトルを獲得。2014年にマルケス選手とダニ・ペドロサ選手の活躍で3冠となった。

その後はマルケスの不調、復活を経て2017年、2018年、2019年と3年連続でのチームチャンピオンとなっている。

ホンダの強さ、エンジンへの取り組み

ホンダが初めてロードレースの世界選手権に参戦したのは1959年。イギリスGP/マン島TTレースで、創業者の本田宗一郎が優勝を目指すと宣言し、翌年の1960年には西ドイツで田中健二郎選手(250cc)が日本人として初めて表彰台に上っている。

350cc、250cc、125cc、50ccの各クラスで強い実績を重ね、MotoGPクラスでは1983年に初チャンピオンを獲得した。

ホンダの強さは、常に技術革新に挑んでいるところにある。ホンダのマシンとなっているNSR500は、2000年以降に再開発。より高出力なV4エンジンを作り上げた。

どのチームにも言えることだが、毎年マシンに規定が設けられ、その上で選手に合うマシンを開発していくことは簡単ではない。このマシンで最高記録を出したのは、バレンティーノ・ロッシ選手のみだ。

こうして失敗と課題に向き合い、その後V型5気筒エンジン搭載のRC-211Vを開発。後続のRC-212Vのあと、2012年より登場したRC213Vは、まさにマルク・マルケス選手のためのマシンとなった。彼が操縦することで、強いマシンが完成したのである。

ホンダ、コンマ0の強さを維持する努力

2020年、ホンダは以下の選手でMotoGPに臨む。

レプソル・ホンダ 

選手  マルク・マルケス/アレックス・マルケス

Team LCR(エルシーアール)

選手 LCR Honda IDEMITSU 中上貴晶

   LCR Honda CASTROL  カル・クラッチロー

レプソル・ホンダは、結果的に一番強いチームとなっているが、実際にライバルチームとの実力差はさほど大きくない。コースによってはライバルのほうが高スピードになることもある。

MotoGPは、チームとマシンとライダーの3つの実力が揃って、初めて勝利できる。ホンダではそのための努力が実践されているようだ。

苦手なコースでもポイントを稼げるよう、地道な研究と分析を行う。最終的な勝利を収めるために、年間トータルでの戦略が大切だと言う。コンマ0でせめぎ合う、まさに気の抜けない世界だ。

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