アンドレア イアンノーネ・ドーピング疑惑の戦いと彼の人柄

選手情報

昨年からドーピング疑惑によって、出場停止となっていたアンドレア・イアンノーネ選手。彼の訴えは覆されず、3月31日の発表では18か月の停止処分となった。2021年6月までレースに参加できないという。

彼は一貫して否定していたが、残念な結果となってしまった。

Moto2時代の2009年、日本で優勝を経験しているが、知っている人は多くない。彼はどんなライダーなのか、どのような人物なのかを見ていこう。

イアンノーネ選手のこれまで

プロフィール

アンドレア・イアンノーネ(Andrea Iannone)
イタリア中部・アブルッツォ州バスト市の出身
1989年8月9日生まれ 現在30歳

バイクレース戦績

2004年 ジュニア・チームとしてイタリア・スペインで参戦、好成績を残す
2005年 世界選手権Moto3(125ccクラス)にフル参戦
     トルコGPでベスト10位に入賞、シリーズランキング19位
2006年 マレーシアGPで骨折によりその後欠場 シリーズランキング22位
2008年 中国GPで初優勝
     マレーシアGPで初のポールポジジョンを獲得 シリーズランキング10位
2009年 カタールGP、日本GPで2連勝 カタルニア戦優勝
     サンマリノGPで転倒・リタイア シリーズランキング7位
2010年 Moto2に参戦(250㏄クラス) イタリアGP、ダッチTT、アラゴンGPで3勝 
     いずれもポールポジション獲得
2011年 Moto2 年間3勝でランキング3位
2012年 カタルーニャGP、イタリアGPで優勝 ランキング3位
2013年 MotoGPクラス ドゥカティと契約
2014年 ランキング10位で終わる
2017年 スズキと契約
2019年 アプリリアと契約 ランキング16位

彼は最高峰クラスに昇格したとき、アグレッシブな彼の走りと、ドゥカティの速いマシンの組み合わせでかなり期待された。実際には、事故や怪我、転倒などが相次ぎランキング上位を逃してしまっている。

ドーピング疑惑の真相とは

なぜドーピング疑惑が出てしまったのか。実は2019年11月、マレーシアGPにおけるドーピング検査で陽性反応が出てしまった。2019年12月17日付けで停止が決定。活動休止を余儀なくされた。

彼はドーピングを否定し、再検査を要請して新たにサンプルを提出。しかしこちらでも、陽性反応が出てしまったのだ。

今年の2月4日に、FIM本部で国際懲罰法廷(CDI)によるヒアリングが行われ、3名のCDI委員とイアンノーネが出席して審理が行われた。

当初から原因は、現地で摂取した食品が汚染されていたことだと訴えた。裁判官はイアンノーネ選手が誠実であること、原因が食品にあったことを認めたが、「食品の安全性を確認するべきであった」として処分を撤回しなかった。

チーム・アプリリア側はこれを不服とし、スポーツ仲介裁判所(CAS)へ訴える予定だ。イアンノーネ選手に信頼を置いており、この結果を1つの試練として今後も選手をサポートすると述べている。

MotoGPでもドーピング検査はある

MotoGPでも、一定の検査は行われる。各国にある世界ドーピング防止機構(WADA)の研究所で行われるが、選手全員の検査は時間もお金もかかるため、代表選手を対象に行っているようだ。

マレーシアGPでは、イアンノーネ選手のほかにもマルク・マルケス選手、ホルヘ・ロレンソ選手も代表で検査を受けている。

ドーピングがどのスポーツでも危険なのは言うまでもないが、モータースポーツでは本人も訴えたように、自分の体だけの勝負ではないため薬品は意味がない。

それどころか、薬品を使用することは別の意味でハイリスクだ。飲酒運転が本人にも周りにも危険なのと同様に、選手たちにとってもメリットはない。

アプリリアチームが今回の措置に対し、「(ドーピングなど)馬鹿げている」と漏らした一言が、真実と言えるのではないだろうか。

イアンノーネ選手の人柄

アンドレア・イアンノーネ選手は、ときどき冷静さを失い、熱くなってしまうことがある。またクラッシュシーンが何度もさらされてしまったことから、危険なライディングというイメージが作られている。

ドゥカティ時代は、チームメイトのドヴィツィオーゾ選手とも接触を起こし、チーム内で問題になったこともあった。

実際の彼は、1本筋が通っており、迷いがない。自身で「ちょい悪」のように振る舞っているが、律儀な性格で地元イタリアでは人気もある。今回の措置に対して同情的で、アプリリア同様にレース参戦を望む声が多い。

律儀さが分かる彼のメッセージ

現在、イタリア全土で外出が規制され、市民のストレスとなっている。その中で彼は、4月6日にSNSで家にいて危機を乗り越えるよう、メッセージを送った。

2009年、彼の地元・アブルッツォ州ラクイラ県ではマグニチュード6.3の地震が発生し、4月6日はその記念日となっている。

「今回は家にいれば、危険から身を守ることができる。ラクイラ(地震)のときは、みんな家がなくてどう守ればいいのかわからなかった」と述べている。

彼は一瞬で瓦礫と化した町を見たときのショック、そこから立ち上がって普通の生活に戻る人々の強さを、今でも鮮明に覚えていると述べている。

優しい言葉をかけないが、彼らしいエールの送り方だ。彼自身も、今回の試練から立ち上がってがんばってくれることを切に願う。

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